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修学旅行用電車167系
※この車両は改造講座で制作したモデルです。商品化はされていませんので、ご注意ください。
修学旅行色をまとった167系。相当「派手」な色合いであった。

戦時中の日本では、国内の鉄道に対する投資が極度に減少し、車両の新造数もひどく落ち込んでいた。その結果、戦後の復興時に必要な車両数が確保できないという事態に陥ることとなる。テレビなどで終戦後の映像が流れる際には、乗客であふれんばかりの客車を牽いた蒸気機関車の姿をよく見かけるが、そういう事情があったのである。

苦しい状況下だからこそ、子供にだけは少しでも楽しい思い出を与えてあげようと学校の修学旅行はなんとか実施されていた。とはいえ、復興輸送やGHQ関連の輸送が優先されるのは当然のことであり、修学旅行には、全国からかき集めた老朽客車を定期列車に連結したり、混雑する定期列車に「何とかして」乗り込むといった方策で対処していた。

そのため、座席の3人掛けは当り前、ひどい場合は夜通しの立ち放しすらあったという。また、当時の客車は自動ドアではなく手動であり、生徒でも簡単に外に出ることができたので、停車した駅のホームに勝手に出歩く者がいた。そういった生徒の監視に教師や添乗員はほとほと手を焼いたとも聞く。当時の修学旅行は、大変な労苦を伴うものであったのである。

このままでは、安心して楽しめる修学旅行が行えないということで、電車の153系をベースに155系が製造された。塗装は中学生から公募で選ばれ、オレンジと黄色の楽しい色使いの車両となった。155系は好評を博し、増備型である159系も登場し、バリエーションを増やしていった。

167系は、153系を改良した165系をベースにした修学旅行用電車で、使用線区を限定しないようにパンタグラフ付近は低屋根構造(155・159系は全車が低屋根構造)を採用、また、急行形と異なり駅での乗り降りが頻繁に行われるわけではないので修学旅行用電車共通の狭幅700mmドア(急行形は1mドア)となった。

ところが東海道新幹線が開業し、その後も山陽、九州に向けて延伸していくと、修学旅行には新幹線を使うことが多くなり、167系は「急行用」として165系と混用されていくことになった。その結果、急行が特急格上げなどにより相次いで廃止されるようになると、165系とともにローカル線や臨時列車としての晩年を迎えることとなった。
そして今や日本は、修学旅行は飛行機で海外という時代を迎えており、隔世の感がある。

実物のドアは特急形などと同じ700mmの狭幅ドアである。
修学旅行のオフシーズン期には東京〜下関間の「長州」として活躍していた。
実際は湘南色に塗装変更された後に冷房化されているが、塗装を変更するだけでも往時の雰囲気が出る。
※商品詳細はデジQトレイン公式サイトをご覧下さい。