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DF50+改造旧形客車
※この車両は改造講座で制作したモデルです。商品化はされていませんので、ご注意ください。
今となっては過去帳入りしてしまった編成美である。

電車王国日本でも、かつては「汽車」が鉄道の代名詞であった。「汽車」の本来の意味は蒸気機関車に牽引された客車列車・貨物列車のことであるが、動力がディーゼルや電気に変わっても、客車や貨車を牽引していく姿自体は共通しており、一般的には「汽車」と呼ばれることが多かった。すなわち、「客車」こそが主役の存在だったのである。

現在、イベント用などに少数しか残存していない旧形客車※1も、何ら特別な存在ではなく、全国各地で「普通」に活躍していた。旧形客車の活躍は、「電車」が普及するまで、戦前から戦中、戦後の長い期間にわたって続いたので、塗装もその時々において様々に変化している。今回はその点を整理してみたいと思う。

太平洋戦争前の旧形客車はぶどう色1号といわれる茶色塗装で、現在、残存している車両と比して暗めの塗装であった。これは蒸気機関車の煤煙による汚れを目立たなくするためである。窓下には座席の等級ごとに異なる色の帯が巻かれていた。一等車は白帯、二等車は青帯、三等車は赤帯を巻き、帯の中にはそれぞれ「|」「||」「|||」と記されていた。

車掌室の窓下には「車掌」、荷物車には「荷物」と標記され、また郵便車には「郵〒便」標記の他、郵便帯が巻かれていたが、早々に廃止される。三等車の赤帯についても戦費捻出を目的とした経費節減策の1つとして廃止され、「|||」標記だけとなった。戦後になると、旧形国電と同じぶどう色2号に変わり、幾分明るい塗装となった。

また、戦時中に一等車は廃止され、戦後も暫くはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導で廃止状態が続いていたが、進駐軍(連合国軍)専用車に「白帯」が使用されていた。「白帯」は前述のとおり元は一等車に巻かれていたため、昭和24年に一等車が復活したときにはクリーム帯に変更となる。なお、帯には鉄道省※2を表す「J.G.R.※3」が加えられていた。その後、「|」「||」「|||」「車掌」標記は昭和31年に廃止され、三等車は今の普通車と同様、特に何も標記しないこととなった。 昭和35年の二等級制移行に伴い、旧一等車は廃止され、旧二等車は一等車に、旧三等車は二等車となる。新一等車は青帯を巻いたが、すぐに若草色に近いグリーン帯に改められた。

昭和41年には、大きく塗装が変更になる。一等車、10系軽量客車と近代化改装車(窓のアルミサッシ化、車内のデコラ化※4、車内灯の蛍光灯化などを施した車両)は青色15号化することとされた。しかしながら、なにぶん数が多いため、近代化改装されたのにもかかわらずぶどう色2号のままの車両、その逆に近代化改装されていないのに青色15号になった車両などが現れ、よくいえばバラエティに富んだ、悪くいえば統一感のない車両群が出現することとなった。

数が少なくなったとはいえ、鉄道ファンの間では旧形客車は今も根強い人気を保っている。現代の通勤車両のように全くの金太郎飴状態ではなく、かといって特急車両のように極端に自己主張の強いわけでもないところに渋さが光る「通」好みの車両であるといえよう。

DF50は登場当時は茶色塗装であったが、朱色に改められた。
一等車の茶色にグリーン帯の組み合わせは昭和36年〜昭和41年の間に見られた組み合わせパターンだ。
近代化改装工事は昭和35年から始められたが、旧形客車の数が多かったため、全車には行き渡らなかった。
※1…旧形客車とは、現在一般的な24系25形寝台客車などのように同系列の車両のみで編成を組むのではなく、1両ごとに個別独立で運用される客車のことをいう。分類方法にもよるが、20系客車登場前に設計された客車の総称とされることが多い。
※2…太平洋戦争前の日本政府が所有していた鉄道は「鉄道省」という役所が管轄していた。戦争中に運輸通信省、運輸省と管轄が変わり、終戦後の1949年に国の直営から公共企業体「日本国有鉄道」に改組された。
※3…鉄道省の英語表記である「Japanese Government Railways」の頭文字をとったもの。
※4…合板の表面に合成樹脂製の薄板を張り付けた化粧板のこと。
※商品詳細はデジQトレイン公式サイトをご覧下さい。