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80系(関西急電色)
※この車両は改造講座で制作したモデルです。商品化はされていませんので、ご注意ください。
流電からの伝統の茶色とクリームの塗装。
そのエッセンスは、117系以降も221系や223系1000番代、2000番代に引き継がれている。

湘南新宿ラインの誕生や宇都宮線、高崎線、常磐線の東京駅再乗り入れプロジェクトなどにより、関東圏でもJRと私鉄の競争がかなり激化してきたが、それでも京阪神地区の苛烈な争いに比べればまだまだだろう。

京阪神地区には、JR(旧国鉄)と阪急、阪神、京阪がほぼ並行して走っている。関西圏の大動脈であるこの区間の旅客需要を巡る争いには長い歴史があり、各社ともスピードや運賃、列車本数、車両といったさまざまな面で工夫を凝らしてきた。

このような激戦区を走る急行電車(急電)に、戦前の国鉄が戦略車両として投入したのが、流線形で有名なモハ52形※1である。茶色(マルーン)一色が当たり前であったこの時代、クリームと茶色の優美な塗装をまとった姿は衆目を集めた。流線形を採用したことと合わせて、この車両を今も伝説的な存在たらしめている。

戦時中、急電は運転をとり止めていたが、昭和24年にモハ52形やモハ43形などの車両を用いて復活。復活後まもなく、当時の最新型電車であった80系が投入された。京阪神地区に投入された80系※2は正面2枚窓※3、いわゆる「湘南窓」を採用した車両の第一陣であり、かつ前任の流電から茶色とクリームの塗装を引き継いたことで、その姿はライバル路線の車両と比べても恥じない洗練されたものとなった。

しかし、昭和26年11月に米原−京都間の電化が完了し、東海道本線が全線電化されたことで、転機が訪れる。他地域の80系が京阪神地区に乗り入れてくるようになったのである。すなわち、80系で初めて採用されたいわゆる“湘南色”の車両と混在する形になってしまったのだ。このままでは利用者にとってややこしいということで、塗装は全て湘南色に統一されることになり、茶色とクリームの急電塗装は残念ながら消滅してしまった。

ところが、昭和55年に同地域を走る快速列車※4用に投入された117系に茶色とクリームの塗装が採用され復活を果たし、途中で転属を経ながらも現在に至るまで活躍を続けている。

急電に使われた80系は2次車と呼ばれる車両で、側面のシルヘッダーが特徴であった。
湘南色の80系もよいが落ち着いた塗装である急電色も捨てがたい。
有料の急行電車が153系で運行されるようになり、急電の愛称は「快速」に改められた。
※1・・・昭和35年にクモハ52形に形式変更されている。
※2・・・車両紹介「80系」の回も参照。
※3・・・1次車は正面3枚窓。
※4・・・この快速列車は急電の後身にあたる。