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列車ものがたり
安芸

●列車ものがたり----『安芸』
山陽新幹線の開業や航空機の発達、ライフスタイルの変化により、関西圏と九州を結ぶ新幹線連絡寝台特急列車は、今現在「彗星・あかつき」(京都〜南宮崎・長崎)、「なは」(新大阪〜熊本)だけとなり、全盛期と比べると寂しさは否めない。かつては「あかつき」(京都〜長崎・佐世保)、「明星」(新大阪〜西鹿児島)、「なは」(新大阪〜西鹿児島)、「彗星」(新大阪〜都城)、「金星」(名古屋〜博多)がきら星のごとく行き交っていたが、そんな中、最も目立たない存在が「安芸」であった。

昭和50年3月、山陽新幹線が博多まで全通したことで大規模なダイヤ改正が実施された。その際、急行「音戸」が特急に格上げされることで誕生したのが「安芸」である。運行経路は、「音戸」時代と同じく呉線経由の新大阪〜下関間に設定されたが、使用車両は10系客車から20系寝台客車に変更された。すなわちブルートレインの仲間である。セノハチ越え(瀬野〜八本松)がないことと、50年のダイヤ改正でブルートレインの数が増えたこともあり、牽引する機関車には余力のあったEF58があてがわれた。既にブルートレインの牽引はEF65が主流の時代となっており、ファンには嬉しいEF58ブルートレイン中興となった。

ユニークさは運行ダイヤにもあって、呉線をのんびりと行く間に「さくら」に抜かれてしまうという一見すると不思議な組まれ方をしていた。これは、夜行列車としては運行区間が短く、あまり快足で飛ばすと、利用者の主な目的地となる中国地方西部の各都市に早朝に到着し使い勝手が悪くなってしまうということから、ある程度時間をかけて運転するために施された措置であった。

しかしながら利用者数は低迷、運行開始から2年後の昭和52年に当時最新鋭の車両であった2段式B寝台の24系25形寝台客車が投入され、テコ入れが図られた。ただ、それもあまり役に立たなかったようで、翌昭和53年には列車そのものが廃止となる。特急に格上げされたのも束の間、わずか3年で消滅の憂き目に遭うこととなったのである。「銀河」と似たような役割が期待されたと思われるが、東京〜大阪と関西圏〜中国地方西部とでは需要の大きさに開きがあり過ぎたのが災いしたか・・・。

しかしながら、その後登場した京都〜博多間の夜行快速「ムーンライト九州」は季節列車ながら、繁忙期にはかなりの活況を呈しており、最多客期には京都〜広島間の「ムーンライト山陽」も運行されている。要するに、この区間の移動需要が少な過ぎるのではなく、リーズナブルな価格で、いつでも飛び乗れる便利さを備えた夜行列車が必要とされていたということであろう。

「ムーンライト」に乗車した際は、車窓の夜の闇を眺めながら血脈を引き継いだ「安芸」に思いを馳せてみるのも一興だろう。

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