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列車ものがたり
かもめ

●列車ものがたり----『かもめ』
「かもめ」は「つばめ」、「富士」、「さくら」と並び、太平洋戦争前から存在している愛称名だ。
登場当時の「かもめ」は「鴎」という漢字表記であった。また、運転区間も現在とは全く異なっており、東京−神戸間を結んでいた。運転区間を聞いて、「おや?」と思う人もいるだろう。そう、「燕」と同じなのだ。それもそのはず、この列車は混雑する「燕」の補完列車として設定されたのである。担った役割が「補完」であった故か、東海道を走る特別急行の名物である展望車が当初は連結されないなど、終始地味な印象がぬぐえなかった側面がある。太平洋戦争が激化してくると特別急行の運行に支障が出るようになったため、この「鴎」は昭和18年に廃止されてしまう。なお、相前後して「燕」、「富士」(東京−下関)、「櫻」(同左)も廃止、あるいは格下げとなっている。

太平洋戦争後の昭和27年にひらがなの「かもめ」が登場。「かもめ」の名前が復活する。運行区間は京都−博多間となり、活躍の場を西へ移した。この列車、いうなれば現在の「ひかりレールスター」(新大阪−博多)の遠いご先祖様と位置付けられようか。といっても、電車が普及する前の時期であるから、当然、客車列車であった。そのため、急勾配区間である瀬野−八本松間(通称セノハチ)では補助機関車※の助けを借りていた。

登場当初に使用していた客車には、座席が一方向に固定されたクロスシートのスハ44が含まれていたので、終点では方向転換の作業が必要だった。京都での方向転換作業は梅小路付近の短絡線を利用した単純なものであったが、博多での方向転換作業は香椎線や勝田線を用いた複雑な経路を辿らねばならずかなりの手間となっていた。そこで、その作業を合理化するために、当時の最新鋭客車である固定ボックスシートのナハ11に置き換えられた。

昭和36年のダイヤ改正(いわゆる「さん・ろく・とお」改正)では、キハ82系が充当され、気動車化が行われた。運行区間も京都−長崎・宮崎に延伸された。この時から「かもめ」と長崎の間に縁が結ばれる。昭和40年に運行区間を長崎・宮崎行から長崎・西鹿児島(現:鹿児島中央)行と改め、昭和43年には京都−長崎・佐世保間となった。なお、宮崎行、西鹿児島行の編成は、筑豊本線原田経由の運行となっている。

山陽「かもめ」の特徴は、特急への自由席連結が拡大する時期にあって、他の山陽特急とは異なり唯一全車指定席を守り続けたことである。名門特急の面目躍如であった。
昭和50年の山陽新幹線博多開業によりいったん廃止となるものの、長崎本線、佐世保線の電化を待って、わずか1年後の昭和51年には博多−長崎間を結ぶ485系による電車特急として復活を遂げるのだった。

その後、485系による運行が長く続くが、国鉄分割民営化後の平成元年、一部列車に783系(ハイパーサルーン)が投入される。そのため、783系使用列車が「ハイパーかもめ」の名を戴く時期もあった。またごく短期間ながら787系も「かもめ」に使用されるなど車両の体質改善が進む。平成8年に使用車両がいったん783系に統一されるが、平成12年に885系「白いかもめ」が登場。現在では、885系と783系がの両系統が活躍している。

平成16年末には、政府・与党間の協議において九州新幹線長崎ルートの武雄温泉−諫早間がスーパー特急方式で着工されることが決定した。実際に開業することができるのなら、鹿児島ルートの前例から見て、「かもめ」の名が引き継がれる可能性は高いと考えられよう。

※当時の補助機関車は蒸気機関車のD52。
※商品詳細はデジQトレイン公式サイトをご覧下さい。