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アルプス

●列車ものがたり----『アルプス』
JRでは、「急行」種別の列車の廃止や特急格上げが相次ぎ、いまや優等列車=特急といってもおかしくなくなってしまったが、昔の時刻表を開くと、特急と急行がミックスされたダイヤが組まれていることがわかる。これは、かつては特急と急行が役割分担をし、「棲み分け」されていたことを示している。中央本線(通称中央東線)の特急「あずさ」と急行「アルプス」がその典型例であった。

「アルプス」の歴史は古く、昭和26年までさかのぼる。登場当時は新宿−長野間の夜行客車準急で、「山屋」と呼ばれた登山家にうってつけのダイヤ設定と愛称名だった。当初、寝台車は連結されていなかったが、列車の利用が好調であったため昭和31年に新鋭の3等寝台車(現在のB寝台車)であるナハネ10が1両連結されるようになる。昭和33年には2・3等寝台車(現在のA・B寝台車)のナロハネ10に切り替えられた。

このナロハネ10は車体中央に乗降扉を持つという変わった合造車である。このような車両が採用されたのには地域的な理由があった。夜行列車なので、当然寝台利用の要望はある。しかしながら、山岳区間をかかえる亜幹線の中央東線では、編成量数が制限されるため安易に増結で対応することができない。しかも登山者の利用が中心ということで座席利用客が多く、座席車の換わりに寝台車を連結すると需給バランスが崩れる。そこでナロハネ10のような合造車が登場したのである。

昭和35年に気動車による昼行急行が設定されると、「アルプス」の愛称はこの新設急行に使われるようになった(愛称を譲り渡した列車は準急「穂高」に吸収)。昼行列車にはキハ55系が使用された。準急用のキハ55系は、一般的にはクリーム地に細い赤帯の「準急色」の車両が使用されていたが、「アルプス」に使用されたキハ55系は、窓回りが朱色の「急行色」車両が用いられた。

翌年には最新鋭のキハ58系に置き換えられる。以降、当時の国鉄の列車運用方針※1から「天竜(後の“こまがね”)」(天竜峡行)、「八ヶ岳」(小諸行)といった列車との併結運転が頻繁に行われた。面白いところでは、昭和37年から富士急行所属のキハ58系2連による急行「かわぐち」(河口湖行)との併結運転を行っている。なお、昭和38年には増結用車両として両運転台のキハ58が増備されている。

昭和40年に新宿から松本まで電化が完成し、併結運転を行う一部の列車を除き「アルプス」は165系によって電車化された。当時の電車急行には半室ビュッフェ車の「サハシ」が連結されるのが通例であったことから、ビュッフェ利用率の芳しくない上越線急行の「佐渡」からサハシが回された。転属車両だけでは2両不足したが、新製投入はされずにサハ164が投入された。サハ164にはビュッフェの代わりに売店が備えられており、座席数確保とサービスを両立させたのである。なお、昭和50年には、全列車が165系化されている。

昭和61年には、昼行「アルプス」は特急「あずさ」に格上げされ、夜行の1往復だけとなる。登場時の姿に戻ったともいえよう。車両は183系に置き換えられ、次いで189系も運用に入るようになった。189系が加わったのは、上り「アルプス」が長野始発となったためである(下りは信濃大町行)。
平成14年には上り「アルプス」が廃止され、平成15年にはとうとう下り「アルプス」も廃止され、その歴史に幕を降ろした。

「アルプス」の愛称自体は消滅してしまったが、中央東線を疾走したクライマーは特急「かいじ」や臨時夜行快速「ムーンライト信州」に姿かたちを変え、今も走り続けている。

※1列車ものがたり「まつかぜ」の回を参照。
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