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列車ものがたり
あすか

●列車ものがたり----『あすか』
関西本線は、国有化される前の明治時代には関西鉄道(「かんさいてつどう」ではなく「かんせいてつどう」と読む)と呼ばれ、官営の東海道本線と名阪間の旅客を奪い合って熾烈な競争を繰り広げていた。運賃の割引合戦はもちろん、列車に乗ると豪華なオマケがついてきたという。競争が最も過熱したときには運賃より費用の高い弁当や団扇などがついてくるという始末だった。

しかしながら、過当競争は共倒れを招きかねないため、官鉄と関西鉄道の間に協定が結ばれ、競争は沈静化した。関西鉄道の国有化後は名阪間のメインルートは東海道本線に集約されてしまい、関西本線は「本線」と称されながらも長く不遇の時代をかこってきた。そんな関西本線にも転機が訪れる。特急が運行されることになったのである。

昭和40年に新設された「くろしお」の間合い運転ながら、名古屋−東和歌山(現:和歌山)に運行された「あすか」がそれである。当時の「くろしお」は、現在のように新宮止まりではなく、紀伊半島を沿岸沿いにぐるりと巡るように名古屋−天王寺間で運行されていた。すなわち「あすか」は、「くろしお」で使用した列車の回送も兼ねて運行されることになったのである。

また、関西本線八尾から阪和線杉本町へは阪和貨物線を経由するという一風変わった運行経路も話題を呼んだ。さらに、当時の国鉄には“堺”という地名の入った駅がなかったことから、「あすか」の運行を機に堺を代表する駅に育て上げようという意味合いで、金岡駅を堺市駅に改称する※1など、異例の措置だらけの運行開始であった。

しかし、成績は芳しいものではなかった。回送が一つの目的であったから、当初からそれほど期待はされていなかったものの「あすか」の利用客数は思った以上に伸び悩み、食堂車の営業休止、自由席の設定といった当時の特急列車としては珍しい施策が採られた。見方を変えれば、現代の特急列車の先駆けといえなくもないだろう。

そういった施策が実施されたにもかかわらず、「あすか」の利用客数は相変わらず厳しい数字が続いた。そして、登場からわずか2年後の昭和42年には廃止されてしまうのである。現在、関西本線を走行する優等列車は急行「かすが」のみであるが、全国的な急行廃止・特急格上げの流れがあるにも関わらず、特急格上げの1つの契機となる新型車両(キハ75形)の切り替え時にも処されなかったことを考えると、特急の“復活”は難しいのかもしれない。

※1・・・近年の代表例としては、九州新幹線の開業に合わせて改称した鹿児島中央(旧:西鹿児島)があげられよう。
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